数珠は、古くから多くの人々に利用されてきました。現代の日本では、仏具としてのイメージが強く根付いていますが、かつては魔除けとしてよく利用されていました。
数珠をつけた刀、数珠丸(じゅずまる)
数珠丸は、天下五剣の一つである日本刀で、名物刀剣として認められた刀剣が記載されている享保名物帳でも紹介されています。また、日本の重要文化財にも指定されています。この刀を所有していたとされる日蓮が、この刀の魅力に取りつかれ、数珠をつけて魔除けに使っていた事から、この名前が付いたとされています。
数珠丸には「恒次」の銘が彫られており、数珠丸恒次とも呼ばれています。一般的には、平安時代の刀工である青江恒次の作だと言われていますが、備前恒次の作とする見方もあります。
日蓮に数珠丸を寄贈した人物とは?
日蓮は、波木井実長に招かれ身延山に入山した後、身延山を寄進され、身延山久遠寺を開山したと考えられています。数珠丸が日蓮の元にわたったのは、この出来事の前後です。数珠丸を寄贈したとされる人物には、波木井三郎実長と北条弥源太の名が挙がっています。
波木井三郎実長説は、日蓮が身延山を開山する時に、波木井三郎実長から寄贈され、破邪顕正の剣(邪道を打ち破り正しい道理を世の中に表し、広めるための剣)として剣の柄に数珠を巻いた事で、この名が付いたという説です。
北条弥源太説は、日蓮が入山する数か月前には北条弥源太が大小2振りの日本刀を寄贈しており、この時の大刀が数珠丸であるとする立場です。一般的には、波木井三郎実長説が広く知られています。
数珠丸にまつわる話
数珠丸は、日蓮没後、他の遺品とともに身延山久遠寺に保管されていましたが、行方不明になり、長い期間所在が分からなくなっていました。その後、1920年に宮内省の刀剣御用掛の杉原祥造によって再発見されました。
杉原氏は、見つけた数珠丸を久遠寺に返納しようとしたものの、交渉がまとまらなかったため、杉原氏の自宅近くにあった本興寺に寄贈されました。重要文化財として指定された数珠丸は、現在も本興寺で大切に保管され続けています。
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